- オススメ ★★★★★
- 泣ける ★★★★☆
- 笑い ★★★★☆
- テンポ ★★★★☆
- ヒューマン ★★★★★
- ラブシーン 少★★☆☆☆多
- キュンキュン ★★★★☆
作品情報
2022年 全16話 配信先:Netflix
脚本:クォン・ドゥン
監督:チョン・ジヒョン
企画:ホン・ギソン(tvN)
製作:スタジオドラゴン
キャスト
キム・テリ
ナム・ジュヒョク
ボナ
チェ・ヒュヌク
イ・ジュミョン
相関図
見どころ
ナ・ヒドの中学生の娘が、ふと母親の若い頃の日記を見つけて読み始めるところからこの話は始まります。
子供の頃からフェンシングの神童と言われていたナ・ヒドが長い間スランプに陥り、
高校生になってからテヤン高校の女子金メダリストのコ・ユリムに憧れ、彼女と同じ高校に転校して、一緒に金メダル目指していきます。
時代背景は1998年IMF経済危機に翻弄される中、ふとした事で新聞配達中のペク・イジンと知り合ったナ・ヒド、
いつしかお互いを大切な存在と意識するようになっていき、なくてはならない深い絆が生まれていきます。
このドラマのタイトルになっている「二十五、二十一」は2人が22歳と18歳の時に出会い、2001年のアメリカ同時多発テロをきっかけに2人の関係が段々遠ざかって行ったターニングポイントとなった年齢が25歳と21歳の事を指していると思います。
「ザ!青春!」、誰にでもあったであろう、青春真っ只中の、恋や友達や自分の夢に対しての苦悩やワクワクやキラキラを全部詰めた様な物語で、観ている側もどっぷりと共感必至です。
涙あり、笑いあり、子供から大人になって行く過程での心の変化や人との別れなどが、繊細かつ見事に描かれています。
見どころは、本格的なフェンシングシーン。
金メダルを目指すという設定なので、ナ・ヒド役のキム・テリとコ・ユリム役のボナは撮影の5〜6ヶ月前から本格的指導の元練習に励みました。
訓練し過ぎて膝に水が溜まった事もあったそう。(俳優さんのプロ根性って凄いですね)
そのおかげで、吹き替えなしでも本物の選手と遜色ないくらいの実力になりました。
また、時代設定がミレニアム前後で、
その頃流行っていたファッションや、ポケベルやガラケー、電話ボックス、貸しビデオ屋、
カセットテープやカセットステレオなどが時代を感じさせます。
ほんの20年あまりで時代がこんなに変化した事がちょっと驚愕ですね。
〜〜以下ネタバレ含む〜〜
物語の核ともなっている、主人公2人の恋愛の行方が最後まで目が離せないのですが、
最終的に別れてしまいます。
ここはレビューとして納得いかない派とこれで良かったんだ派の真っ二つに別れていますが、
ハッピーエンドのドラマが多い中、あえて別れを描いたところに、脚本家の一番言いたかった事が以下の最後の方でのセリフに凝縮されている様に思えます。
「全てが手に入ると信じていた」
「多くを手に入れたかった」
「愛も友情も手に入れたと錯覚してた」
「振り返ると全てが試行錯誤の日々」
「永遠だと言い張った瞬間」
「私はその錯覚が好きだった」
「それでも手に入れたものがひとつあった」
「あの年の夏は わたしたちのものだった」
若かりし頃、本気で愛し合った瞬間をずっと心のどこかに秘め、
その記憶には想い出フィルターが掛かり、
心の中ではずっとキラキラ輝いていて
その時は永遠かの様にも思え、
大人になって辛い事に遭遇しても、その記憶が自分に力を与え続けてくれた・・・
そんな事を言いたかったのではないでしょうか。
こちらのOST観るだけでも、青春のキラキラや切なさが伝わってきて、胸キュンです。
またペク・イジン役のナム・ジュヒョクの愛情を持った眼差しでナ・ヒドを見つめる目が演技とは思えない程素晴らしく、
後にナ・ヒド役のキム・テリは、
「ナム・ジュヒョクのペク・イジンがいなかったら、キム・テリのナ・ヒドもいなかった」
「ナ・ヒドの素直で自由奔放すぎる姿が、視聴者の目にはひょっとしたら"ちょっとやりすぎだな"という風に映るかも知れないんじゃないですか。でもペク・イジンはいつも"なんて面白い子なんだ"という、愛のこもった眼差しでナ・ヒドを見てくれるのです。その眼差しがあったからこそ、ナ・ヒドになりきることができました」
こう語っています。
このドラマはとにかく切なくて、観終わった後しばらくはロス状態で、
他作品に手をつけられないくらいの名作でした。
自分の中では確実に名作トップ3に入るほど心に残るドラマとなりました。